HOME» 広島観光グルメ»

広島の牡蠣の由来は和歌山?牡蠣の語源は?

広島の食材といえばが牡蠣が有名ですが、広島の牡蠣は紀州和歌山が由来という説があることをご存知の方は少ないのではないでしょうか?

広島で牡蠣に携わる仕事をしている人でも知らない方も多いようですし、私も料理人の方にご自分で書いた本をいただいた際に、その本の中に書いてあり偶然知りました。

もとはと言えば、紀伊和歌山城主の浅野長晟が広島に国替えになるときに産業振興のために牡蠣を移植したのだそうです。

貝塚から牡蠣が発見されているのですから、天然の牡蠣は古くからいたわけでしょうけれど、養殖のルーツは和歌山にあり、養殖した牡蠣を大阪に売りに出したのも浅野の殿様だそうですから、浅野家が広島に来ていなければ広島が今のように牡蠣の養殖で有名になってはいなかったのでしょうね。

いただいた本の中に、牡蠣の語源についても触れられておりましたのでご紹介したいと思います。語源ですから「かき落とすようにして採取したから」、「かき集めて採取したから」など諸説あるようですが、佐藤倖三さんが料理の修行時代に親方からカキという呼び方は「かき出すようにして食べるからいつとはなしにこうした名がついた」と言われ、当時は駄ボラと思っていたら文献にそうあったそうです。
確かに冗談かと思ってしまいそうなお話です。

牡蠣という字は中国の文字をそのまま使っているそうで、文字に牡(オス)という文字が入っているのは中国で牡蠣はオスしかいないと考えられていたからだそうです。(広島で養殖されているマガキは雌雄同体で時よってオス、メスが入れ替わるものです。)

牡蠣の養殖はローマでもおかなわれており、中国ではもっと古くからおこなわれていたそうで、意外なことに牡蠣の生食は明治時代にヨーロッパから日本に伝わったそうですが、ヨーロッパで生食されていた歴史のある魚介類は牡蠣くらいのものだそうです。
佐藤 倖三